東京半日ツアーに参加する2010/12/25 20:54

配布されたガイドマップ

ご存知の通り、近年日本を訪れる中国人観光客が増え、銀座や秋葉原などの商店街では中国人向け誘致の対応がなされています。(デパートの入口等で「银联」の文字やステッカー(上の写真)をご覧になった方も多いかと思います)

外国語バスツアーのパンフレット

そんな中、今年の夏に地下鉄の駅で「外国語バスツアー」のパンフレットが目に留まり、持ち前の野次馬根性で外国語バスツアーの実態を知りたくなったのと、「自分の語学力を確認してみたい日本の方に」のおすすめ文句につられ、参加してみようかなと思いつつ、その時は忘れてしまいましたが、先日部屋を片付けている時にそのパンフレットが出てきて、何を思ったか衝動的にはとバスの予約センターに申し込みをしました。

中文導遊東京之旅
中文導遊東京之旅 posted by (C)Yongyi

参加したツアーは「東京半日コース」。朝9時に浜松町のバスターミナルを出発し、皇居前広場を散策した後、浅草へ向かうバスの車内から秋葉原を眺めて、最後に浅草寺を参拝するもの。時間にして2時間半、料金は1800円と手頃です。

今日の参加者は30人弱。日本人は私ともう一人中国語の堪能な初老の男性(会社関係の中国人8人程度を引き連れていました)、それに台湾に12年間暮らしていた経験があると言う日本人女性のガイドさん。私が言うのもおこがましいですが、さすがに流暢な中国語をお喋りになります。

出発前に、昼食を希望するツアー参加者にメニューの確認をしていて、「生鱼片」(お刺身)が食べられるかを訪ねていたのは聞いていて分かったのですが、「pángxiè」と言う単語が聞いても分からず、「pánxiè」だと勝手に思い込んで、持ってきた辞書を一生懸命ひいても結局分らずじまいでした。(あとで初老の男性に聞いたら正解は螃蟹:カニ。カニアレルギーの人がいるかを確認していた様です)まだまだ知っている語彙が少なくてダメですね。

定刻に浜松町を出発。ガイドさんは時折冗談を交えながら、名所を次々に紹介してゆきます。流暢な中国語と併せて、沿道の事物を正確に紹介しなくてはいけないのですから、ガイドさんは大変な仕事だと思います。(一方で2007年春に上海から来日した友達を案内した時の私のガイドは全然ダメダメでした)

皇居・二重橋前を訪ねるのは20数年ぶり。観光ツアーにでも参加しなければ、なかなか来ないところですね。皇居前広場には、先日の天皇誕生日の記帳所として使われていたテントや仮設トイレが片付けられずに残っていました。今度は正月の一般参賀の時に使うのでしょう。

二重橋にて記念撮影
二重橋にて記念撮影 posted by (C)Yongyi

皇居を出発し、永代通り・中央通りを走って日本橋を渡り、神田・万世橋を過ぎて秋葉原を通過。この周辺の案内は予想通り「コスプレ」と「メイドカフェ」の話題。「コスプレ」は中国でも「cosplay」で通じる(丁度NHKラジオ講座のテキストの最新号にコスプレの話題が出ていました)のですが、「メイドカフェ」は「女仆咖啡厅」(nǚpùkāfēitīng:下女・女中カフェ)と表現していてなるほどと思いました。決まり文句の「ご主人様お帰りなさいませ」は「大爷,回来了!」(dàyé,huílaile!)だそうです。

バスは秋葉原から上野駅を通過。浅草通りに入ると浅草寺の由来などを紹介していたようです。何年建立とか、一束100円の線香の煙を浴びて健康を祈るとか、本堂に行く前に手を清める作法とか、日本人の習慣としてお賽銭は5円玉を投げ入れるなどの紹介が何となく分かった程度。あとはチンプンカンプンでした。

仲見世商店街は早くも正月を迎える準備が整っていて、いかにも日本の正月らしい雰囲気が漂っていてなかなか良かったです。

仲見世商店街
仲見世商店街 posted by (C)Yongyi

常香炉で煙を浴び、手を清めて本堂でお祈りをしたのち、仲見世商店街で帰省土産の人形焼を購入して、雷門で参加者全員が集合して時間になったので、ツアー客の皆さんとはここでお別れをしました。

前述の通り、今回は残念ながら自分の語学力の無さを再確認したツアーでしたが、それでもたまには中国語の勉強を兼ねて、お上りさん気分を味わうためにまた参加してみるのも良いかな?と思った半日ツアーでした。

雷門にて
雷門にて posted by (C)Yongyi

進化しているラジオ講座2010/12/23 17:54

トレーニングから帰って来て、一風呂浴びて汗を流したり、衣服を洗濯しながらNHKラジオの「アンコール まいにち中国語」を聴いていたら、練習会話の中に「真酷!」と言う言葉が聞こえました。

「酷(kù)」は音から英語の「cool」に通じ、カッコイイと言う意味の若者言葉です。一昔前のテキストなら「真好看!」とでも紹介されていたでしょうが、最近の中国語講座もこの手の言葉を教えているんですね。

ラジオ講座(特に入門編)なんて、何年経っても同じような内容の繰り返しだろうと思っていただけに、聴いてビックリしました。

下饺子2010/12/06 19:52

下餃子
下餃子 posted by (C)Yongyi

ほとんど意味はないんですが、餃子を煮ている鍋を見ていたら、2007年に書いた記事をふと思い出したので、写真を撮ってみました。

谷保・国立へ行く2010/08/01 16:27


駐車場の様子

 昨年暮れに谷保の天満宮で行われた旧車祭の2回目が、今年の12月5日に行われることになり、そのエントリーを谷保天満宮で行うとの案内が来たので、6月の一泊ツーリング以来2ヶ月ぶりに愛車のエンジンに火を入れました。

Austin "Frogeye" Healey Sprite 

 10時ちょうどに駐車場に到着すると、既に国内外の数多くの個性的なクラシックカーが並んでいて、ちょっとした旧車イベント会場になっていました。

スポーツカーに挟まれたCountryman

 また今日8月1日は、102年前の明治41年に、有栖川宮様ご先導による「遠乗会」と称されたわが国初のドライブツアーが谷保天満宮を目的地として開催された日で、これを後世に伝えようと「タクリー号こども神輿」が披露され、神職による祈祷の後、子供たちにより梅林にある有栖川宮威仁親王殿下台臨記念」の石碑前まで担がれてゆきました。

子供神輿にお祓いをする神職

 こども神輿披露を終え、ちょうど昼飯時になったので、以前立川の中国語教室でお世話になったS老師と大学通りのファミレスで待ち合わせをして、食事をしながら先日の北京旅行の話や、S老師が持参して来たiPadを触らせてもらったりして、午後のひとときを過ごしました。

北京ひとり旅(最終日)2010/07/09 22:25


景山公園から故宮を望む

 北京旅行も最終日を迎え、前日の天気予報では雨が降ると報じていましたが、朝起きると朝日が昇っているのが見えたので、旅行社が迎えに来るまでの約3時間を使って、近くの景山公園と北海公園へ写真を撮りに出かけました。

景山公園にて

 景山公園は何と言っても頂上の万春亭から見る故宮が感動的です。もう少し空気が澄んでいて、朝日が射していれば申し分ないのですが、まぁひょっこり訪ねてそうそう好条件が揃うわけはないですな。

 万春亭でしばらく故宮を眺めて麓に降りたところ、大勢の人々が太極拳をやっていました。上海の外灘の朝にも太極拳の撮影に挑戦していますが、ゆったりとした動きで撮影し易いかと思いきや、結構意外な動きをするため、ポーズが決まってもシャッターを押すタイミングを逃してしまい、納得のゆく写真が撮りづらい被写体の一つです。

 続いて隣の北海公園へ行き、5年前は改修工事で近づくことが出来なかった、白塔を見物しました。

白塔

 早朝から北海公園周辺の店(特に革靴や衣服を扱う店)には多くの(おそらく地方からの観光客)が押し寄せていたり、北海の池の周りには、やはり太極拳をやっている人や散策する人など、思い思いに過ごしている人がいましたが、彼らの中でも私が気に入っているのは、水を含んだ大きな筆で、敷石に(おそらく漢詩の一部と思われます)字を書いている人です。とにかく驚くほどの達筆なおじいさんがいて、書き終わると周囲の見物人から拍手を貰っていました。

敷石に文字を書くおじいさん

 北海公園は先日の圓明園と同様に、蓮の花が満開で、多くのアマチュアカメラマンが高級一眼レフで写真を撮影していました。

北海公園

 散策しているうち9時を過ぎたので、タクシーを拾ってホテルに戻り、荷物の最終チェック。10時にチェックアウトの手続き。予定通り10時15分に旅行社が迎えに来て、北京首都国際机場(飛行場)へと向かいました。

 車中で現地添乗員が「どこへ行きましたか?」と訪ねるので、「司馬台長城へ行ったら工事中だった」と話したら、「私は司馬台には行ったことがない。ほとんどの観光客は八達嶺に行きます」と言うので、よほど私は現地の観光業者も行かないような、マイナーな観光地を選んだ(しかも辿り着けなかったと言うオマケ付き)のでしょう。

 北京首都国際机場は、オリンピックを契機に飛行場の規模がそれまでの数倍に広がったため、高速道路の料金所を過ぎてからはどこをどう走っているのか分からなくなる程引き回され、ホテルからちょうど1時間で空港に到着。

 チェックインカウンターで荷物を預けたところで添乗員と別れ、出国手続き等を済ませて搭乗口へ移動。ちょうど12時になったので、昼食をと思い食事場所を探しましたが、巨大な空港の一番端のため大した食事施設がなく、やっと見つけた軽食堂も、三明治(サンドイッチ)ごときで結構いい値段がするため、手持ちの人民元が足りなくて、慌てて日本円で支払う羽目になりました。

昼食のサンドイッチ(パニーニ)

 食後搭乗口へ戻り、Z老師へ先日の食事のお礼とお別れの電話をかけたりしているうちに、搭乗手続きの時間となり、バスで飛行機のそばまで移動しました。

 我々の飛行機の隣には、懐かしい北京オリンピックのマスコットが描かれた飛行機が出発準備をしていました。

マスコットが描かれた飛行機

 帰りの飛行機は、ボーイング737と言う初めて乗る小型機。3列シート+3列シートで機内の狭さにはビックリです。ほぼ予定時刻の13:30に出発。

 機内サービスが始まり、中国語でコーヒーを注文したところ、隣に座っていた若い中国人がすかさず「あなたは何人か?」と話しかけてきて、「日本人だ」と答えると、「私たち(夫婦)は、団体旅行で東京と北海道へ行く」と話してきました。

 近年公開の中国映画に、北海道が舞台の作品があって、ロケ地巡りで中国人観光客が大勢北海道に訪れている、と言うニュースを聞いたり、また先日のZ老師との会話にも、やはりこの映画の話題が出てきましたが、まさか実際のツアー客に遭遇するとは思いませんでした。

 その後は中国語であれこれ会話が始まりましたが、方言なのか普通話の発音と違って聞き取りづらいので、メモを取り出して筆談をしながらの会話です。今回の旅行で最も中国語を使用したのは、皮肉にも帰国の際のこの時だったと思います。

 相手の中国人夫婦は四川省成都市から来たとのことから、こちらからも当初計画していた九寨溝・黄龍のことを訪ねてみたところ、この時期は雨が多くてダメだそうで、10月が良いから機会があればぜひ行ってみろと勧められました。

機内食(羊肉のご飯)

 そうこうしているうちに、日本時間18:10に成田に到着。隣り合わせた中国人夫婦へ、お決まりの文句「祝你们旅途愉快,一路平安(楽しい旅行を、道中ご無事で)」と声を掛け、握手をして分かれました。

 飛行機から降りて早速実家に帰国した旨の電話をかけ、入国審査等々の手続きを経て、京成電車・JRと乗り継ぎ21時過ぎアパートに到着。5日間の北京旅行は慌しくも無事終了しました。

北京ひとり旅(4日目)2010/07/08 00:15


雍和宮にて

 昨日の歩き疲れが相当影響したのか、目覚ましが鳴ったのにも気が付かず、起きたのは8時半。朝食にありつけないと大変と、慌てて支度をして腹ごしらえ。

 食後部屋に戻って今日の行動計画を確認。今日は北京の中心部の観光地をチョコっと巡って、帰国前に王府井でお土産の買出しをすることにしました。

 まずは、一昨日のZ老師に薦められた「南新倉文化休閑街」を歩いてみようと、地下鉄2号線の東四十条駅で降りてみたところ、何のことはない2年前に家族で訪ねた北京ダックのお店「大薫」がある場所でした。

南新倉文化休閑街にて

 あらためてザッと歩きまわって見ましたが、開店前の飲食店があるばかりで、大して面白くないので、早々と去って次に「雍和宮」を見学することにしました。

 ガイドブックによると、北京最大のチベット仏教寺院とか。寺院の周辺には線香を売る店などが多数並んでいたり、独特の衣装(袈裟?)を纏った僧侶も見かけました。

雍和宮入口

 チケットを購入すると、普通の参観券と一緒に小さいCDが付いていました。多分寺院の謂れが吹き込まれていると思われます。何が聞けるかは帰国してからのお楽しみです。

 中に入ってみますと、日本のお寺のように線香を香炉(?)にくべて、出てくる煙を身体に浴びるような光景はなく、膝まづいて無心に祈祷をする人々の姿が見られ、一種荘厳な雰囲気が漂ってきました。

 小一時間ほど参観して、次に胡同を撮影するため、鼓楼大街駅へ移動。ところが再開発事業か何かで、一部の区域は建物がすっかり壊され更地になっていました。

 しばらく歩いて、ようやくそれらしい風景の胡同があったので、内部に進んでみましたが、最近は細い路地にも車が駐車していて、胡同のイメージとはかけ離れていて、今ひとつ納得出来る写真が撮影出来ません。

鼓楼東側の胡同にて

 そのうち行き止まりの路地に迷い込んだりして、しばらく胡同の中を歩きまわり、地元の人に尋ねながら鐘楼の前に出たので、内部を見学しました。見学後、鼓楼のすぐ東側にあるワンタンのお店で昼食。

昼食の海老ワンタン

 食後は什刹海を経て北海公園の北口でタクシーを拾い、昨日に引き続き前門へ向かい、北京市の歴史や現代・未来の都市計画を紹介する「北京市計画展覧館」を見学しました

 何年か前にある雑誌で、この施設を紹介する記事を読んで、中でも1/750の北京市の模型は一度見てみたいと思っていながら、2年前は時間の関係で訪問できなかったので、ようやくその望みが叶いました。

北京市計画博覧館にて

 今後も更に発展を続ける北京市の計画が紹介されていて、数年後に再訪してまた体験してみたいと思う反面、今回のような長期休暇を使い、気ままなひとり旅をする機会は多分二度とないだろうなと思い、なんとなく感傷的な気分になりながら、展示物を眺めていました。

 昨日と同じように歩いて王府井に戻り、会社や家族・S老師への土産を買うため、沿道のみやげ物屋(食品市場)に入り、菓子やお茶を購入。自分への土産は、また「積ん読」になることが分かっていながらも、陳凱歌の若い頃の自伝本と、飲んだあと小瓶だけでも絵になる紅星二鍋頭酒(白酒)を購入しました。

お土産

 ホテルに戻り、帰国の準備をはじめて7時に昨日と同じ新東安市場6階のお好み食堂で夕食。(昨日50元のプリペイドカードを購入したので、使わなければ勿体無いのと、押金(内金)を返えしてもらうためです)

 お好み食堂の中に、炸醤面を提供するお店があったのに気がついて、試しに頼んでみました。特にこれといった特徴はありませんでしたが、流石に日本のように黄色い中華麺を使って「北京風」などと言った、中途半端なことはしていません。(当たり前か)

新東安市場の食堂にて

 帰りにホテルで飲むビールのツマミにと、章魚小丸子(タコ焼き)を買って、それを食べながらこの文章を書いています。

北京ひとり旅(2日目)2010/07/06 08:49


司馬台長城遠望

 現地時間4:20(日本時間5:20)起床。カーテンを開けると日の出直前。明日もう少し早く起ることができたら、天安門広場で毎朝行われている国旗掲揚式でも見にゆこうかな。
6時に朝食。長城を歩いて体力を消費することを想定して、少々多めに食べ、6時半にカメラを担いでホテルを出ました。

 ホテルの車寄せにタクシーはなく、ホテル前の歩道にいかにも客待ちと思われる運転手が数人いたので彼らに声をかけ、朝青龍に似た顔の運転手と交渉がまとまり司馬台へ向け出発。

 途中ガソリンスタンドで燃料補給。運転手に尋ねると北京のタクシーは日本とは違いガソリンで走っているとのこと。(以前は天然ガスで走っている車もあったが、今はないとのこと)

 運転手に尋ねると、普通の観光客は八達嶺長城か慕田峪長城に行くそうで、運転手自身も司馬台まで来るのは初めてとか。確かに走行中に(おそらく事務所か仲間に)電話をして道順を確認していたのをふと思い出しました。

 北四環路から京承高速路に入り、約120km走った司馬台ICで降り、ここから一般道を更に5km走ると目指す目的地です。

 ところが看板に従いをしばらく走ったところ、突然道が閉鎖されて、交通整理のおじさんに停められました。運転手曰く、司馬台長城は改修工事のため現在閉鎖中で、早くて2年後にリニューアルオープンするとのこと。(確かに私の他に観光客らしい車は見当たりませんでしたし、ホテルに戻ってWebサイトを調べたらしばらく営業停止とデカデカと書いてありました)

道路閉鎖で引き返す

 今回の北京旅行で一番楽しみにしていた場所がよりによって閉鎖中とは。なんともタイミングが悪く本当にガッカリしました。

 仕方が無いので、長城が見える場所から何枚か写真を撮り、運転手が買ってくれた甘い緑茶を飲みながら再び北京市郊外へ戻り、2年前にも尋ねた798芸術区へ向かうことにしました。

 往復約300km走りもうすぐ798芸術区と言うところで、運転手が「車が壊れた」と言い、メーターパネルを指さすので、何かと覗いたらバッテリーの赤ランプが点灯していました。私も自分の車で経験があるので、オルタネーターが発電していない事はすぐわかり、798芸術区に到着したところで、「すぐに修理に出したいから、ここからホテルまではタクシーを拾って帰ってくれ」と言われ、仕方なくタクシーを降りることにしました。踏んだり蹴ったりですが、運転手が「長城の件は本当に申し訳ない」と詫びていたので、まぁこれも旅の経験と思いよしとしました。

798芸術区にて

 前回798芸術区を訪れた時は真冬で家族を連れていたので、あまりあちこち歩きまわることは出来ませんでしたが、今回は真夏の気ままなひとり旅。暑さを耐えながらものんびり見学をして回りました。

 12時になりZ老師に電話をかけ、夕方の待ち合わせ場所と詳細時間を確認してから、タクシーを拾い東直門の地下鉄駅まで行き、地下鉄でホテルに戻ることにしました。

 地下鉄の駅の入り口で手荷物の検査を求められたのと、切符がICカードになっていたのには驚きました。(切符を購入する手順が最初分からず、券売機の前でしばらく悩んでしまいました)

ICカード式の乗車券

 システムが変わっても相変わらずなのは、駅員の無愛想な態度。2号線はどこかと訪ねても、黙ってあごで指示すのは昔のままです。

 2号線から雍和宮駅で5号線に乗換え、ホテル最寄の灯市口駅で下車。昼飯場所を探しながら、暑い中ぶらぶら歩いていましたが、このままホテルに戻ったら、そのまま寝てしまうかも知れないと思い、あえてホテルの前を通過。老舎故居(記念館)を訪ねることにしました。

 金魚胡同から王府井大街を北に曲がり、王府井教会で写真を撮り、ガイドブックに従い灯市口西街を歩いて目的の老舎故居を探しましたが、なかなか見つからず、そうこうしているうち食堂が目に入ったのでここで昼食。前日に引き続き牛肉面を注文しました。(8元:約120円)

牛肉面

 食後再び老舎故居を探して回り、同じ場所を3度歩いてようやく「老舎記念館」の看板に気が付きました。

 北京の伝統的な「四合院」造りの記念館で、入り口に立って写真を撮っていると、他に見学者もいなくて暇を持て余していたのか、説明係のおじさんが「参観ですか?」と声をかけてきて、有無を言わさず中に案内され、老舎婦人の書が掛けられた「五彩小木影壁」などを説明してくれました。

 「胡同のひまわり」などの映画で「四合院」は観たことがありますが、実際に中に入るのはこれが初めて。外の喧騒をしばし忘れさせてくれる静かな記念館でした。

老舎故居にて

 おじさんに参観記念に一言書いてくれと促されて、文法的に正しいのかあまり自信はありませんでしたが、中国語でひとこと書かせていただきました。

 ホテルに戻り、シャワーを浴び汗を流してから写真の整理。それが済んでベッドに横になると、いつの間にか眠ってしまいました。

 6時半にZ老師と約束した場所へ行くため、手土産を持ってホテルを出て地下鉄1号線で国貿駅へ。ちょうど会社の引け時と重なって地下鉄はものすごい混雑でしたが、携帯電話でやりとりしながら、無事落ち合うことが出来ました。

 2年ぶりに会い、お互いの近況報告や北京のおすすめの観光スポット・日本へのお土産の紹介をしてもらい、10時過ぎにまた機会があったら再開しましょうと言って分かれました。

 ホテルに戻って一息つくと、昼間の疲れで夕食時に飲んだビールの酔いが一気に回ってきて、メールチェックやネットサーフィンもそこそこに、早々に寝てしまいました。
(7月7日の朝に記す)

北京ひとり旅(1日目)2010/07/05 00:49


夜の王府井大街

 早朝4時半、日の出時刻と共に起床。NHKラジオ「あさいちばん」を聴きながら出発前最後の荷物点検を行う。

 9時、アパート近くのバス停から、中央線の最寄り駅まで移動。

 神田で京浜東北線に乗り換えて上野で降り、京成線の特急で成田空港(第一ターミナル)に12時ちょうどに到着。事前に予約していた携帯電話を受け取り、向かいのサブウェイで簡単に昼食。その後旅行会社のカウンターでeチケットを受け取って受付カウンターへ移動。

 平日にも関わらず結構混んでいて、前方の元気なオバサンたちの荷物をふと見ると、「クラブツーリズム」のステッカーが貼ってあり、聞こえてくる会話を聞くとはなしに聞いていると、北京経由成都行きとか言っているので、おそらく私がキャンセルした九寨溝ツアーの一行と思われます。

オバサンたちは元気がいい

 荷物を預けて、さて出国手続きをと思ったら、北京行CA926便は中国からの便が遅れている関係で、手続開始が未定と表示されていました。

 仕方が無いので何か時間潰しはないかとふと横を見ると、「ボディースキャナー」の実証実験をしているのに気が付きました。たまたま今朝のニュースで今日から成田空港で実証実験を行うと報じていたのを聴いていたので、このことかと思い説明書きのポスターを眺めていたら、「実験に参加してみませんか?」と係員から声をかけられ、他にやることもないので参加してみました。

 時計や財布など身の回りのすべて取り外し、円柱状のカプセル入ると数秒で全身がスキャンされる仕組みです。ニュースでは身体のラインまでハッキリと映しだされると報じていましたが、今回の実験ではプライバシーに配慮して、マンガチックな人の形が映し出されていました。実験参加のお礼にとフェイスタオルを貰っているうち、出国手続きが始まり、税関を通過。

ボディースキャナーの実証実験

 あとは搭乗口の前でパソコンを開いて、ひたすら時間潰しですが、外国人の旅行者の中には話題のiPadを使っている人もいました。

 予定時刻よりも約50分遅れで搭乗手続きが始まり、機内へ移動。

CA926便

 中国国際航空だけあって、必要最小限度のあっさりとした機内で、映りの悪い大画面モニタを眺めながらいつしかウトウトとしてしまいました。

 機内食は鶏肉のご飯と、牛肉面のどちらかを選べというので、後者を注文しました。

機内食(牛肉面)

 食後も何するとなくウトウトとしているうち、気がつけば着陸準備に入ったことを機内アナウンスで報じていましたが、驚いたのは現地の気温が41℃とのこと。出発直前まであちこちの天気予報サイトで北京の天気を調べていましたが、こんなに暑いとは思いませんでした。

 予定より40分遅れの現地時間の18:50に、北京首都国際机場(空港)に到着。

 オリンピックに合わせて飛行場が拡張され、どうやらその一番端に到着したようで、入国審査を終えてからシャトル便で飛行場を移動し、荷物を受け取ってようやく到着口で旅行社の係員に会うことが出来ました。

荷物の受取

 私の他に中国は始めての若いお兄さんと一緒に、旅行社の車で市内中心部へ移動。ここでレンタルした携帯電話でZ老師に北京到着した旨を報告。明日の夜に会う約束をしました。

 今回の旅の宿泊先は、5年前に家族を連れて北京旅行をした際にも利用した「和平賓館(ノボテルピース)」です。前回利用したので、ある程度勝手が分かっていますし、王府井へ歩いて行ける便利なホテルです。

 部屋に入って一休みする事こともせず、さっそく買出しの準備。フロントで両替をしてさっそく表へ出ましたが、ムッとする暑さには閉口しました。

 夜の王府井は平日にも関わらず、9時を過ぎても涼を求める人々や観光客が大勢繰り出して大変賑やかでした。

 「外文書店」で最新の北京市内地図を買い求めてから、東華門の夜市を冷やかして歩き、途中コンビニでミネラルウォーターとビールを購入。この時レジ袋をくれないので、「塑料袋(ビニール袋)はないの?」と尋ねたら有料(五角)とのこと。北京でもレジ袋の有料化が始まっているとは知りませんでした。

東華門夜市にて

 その後再び夜市を見物してホテルに戻り、CCTVで明日の天気を確認してから風呂に入り、この文章を書いています。

 明日は、早朝・朝食の後すぐに司馬台長城へ出かけ、夜にZ老師と食事の予定です。

中国語教室を覗いてみる2010/07/04 20:24


中国のお菓子(奥が牛舌餅)

 先日市報を読んでいたら、家から歩いて行ける所にある集会場で、毎週日曜日の夕方中国語教室をやっていると知り、このところしばらく声に出して中国語を喋っていないのと、明日からの北京旅行に備えて少し耳慣らしをしておこうと、冷やかしで(入会の意思は全くない)覗いてみることにしました。

 講師は北京出身で日本に来て20年になるというM老師。流暢な日本語を話しておられたので、最初日本人かと勘違いしてしまいました。

 生徒は会員が3人。うち1人は親の仕事の関係で2年間上海に住んでいたという中学生がいました。その他は私と同じように市報を見て来た見学者の3人の計6人。

 始まる前に会員さんに尋ねてみると、ピンインや発音、文法は既に終わっていて、現在は会話文を中心とした授業をやっているとのこと。テキストを借りてザッと読んでみましたところ、私には難しい内容ではなかったのですが、他の2人の見学者は、ほとんど初学者と言った感じで、ピンインや発音から勉強が必要と思われるレベルで、ついて行くのがチョット大変そうでした。

 かく言う私も、久しぶりに課本(テキスト)を手にしていざ声に出して読んでみると、声調や発音がだいぶ曖昧になって来ていて、チョット言い淀んでしまいました。やっぱり普段から話していないとダメですな。

 以前お世話になっていた立川の中国語教室のように、習熟度に応じたクラス分けがされているわけでもないので、初学者には大変ですし、ある程度勉強している人には物足りなさがあったりと、そういった意味では難しい中国語教室で、これで月謝4,000円はチョットなぁと言うのが覗いてみた正直な感想です。(まぁ端から入会する意志がないので、文句を言うことはないのですが)

 写真は休憩時間にM老師が生徒に配っていた手作りのお菓子。手前のお菓子の名前は聞きそびれてしまいましたが、奥のは「牛舌餅(Niushebing)」と言うのだそうで、味はいかにも中国のお菓子にありがちと言いましょうか、独特の味わいがありました。

亀山房代さん死去2009/11/25 22:07

日中カラオケコンクールにて(右端が亀山さん)

先日の森繁久彌氏に続いて、先週末は「ターキー」こと水の江瀧子女史の死去。そして今日はタレントの亀山房代さんの訃報が飛び込んできました。

関東地方の人にはあまりおなじみではないタレントさんかも知れませんが(かく言う私も、土曜昼のNHK「バラエティー生活笑百科」に「里見まさと・亀山房代」のコンビで登場するのを見るまでは全く未知の人でしたが)、たまたま中国語を勉強し始めた2004年当時、毎週観ていたNHK教育テレビの「中国語会話」の生徒役が亀山さんだったので、一緒に勉強をしていた同学(クラスメイト)を失ったような感じがしています。

しかも今回の報道で知って驚いたのは、私より年上のおばちゃん(故人に失礼!)とばかり思っていたら、逆に1歳若い人だったと言うこと。お子さんもまだ小さいでしょうに、あまりにも早い死去にご遺族はさぞかしおちから落としのことと思います。心よりご冥福をお祈りいたします。

写真は2004年の夏に練馬で開催された「日中カラオケコンクール」のワンシーンです。このイベントに参加した亀山さん(写真右端)はテレサ・テンのヒット曲「甜密密」を歌っていたのを懐かしく思い出します。合掌。