映画『100,000年後の安全』2011/04/20 23:33

映画『100,000年後の安全』

(画像をクリックすると公式サイトに移動します)

全く偶然に、昼間この映画のことを知り、早速会社帰りに吉祥寺で途中下車して観てきました。

本当は今秋に上映の予定だったのが、先の地震・原発事故により緊急上映となったとのことで、劇場プログラムすら用意できなかったことからも、急遽決定したことが想像できます。

吉祥寺バウスシアターは、平日のしかも夜8:30の上映開始にも関わらず、老若男女大勢の観客が詰めかけていて、9割くらいの入りではなかったかと思います。如何に人々の関心を集めている作品かが分かります。

観終わっての感想は、とにかく原発推進・反原発とか言う事ではなく、原子力という人類の手には負えない物を手にして、好むと好まざるとに関わらずその恩恵(と言って良いのかは分かりませんが)を享受してしまった者は、すべからく考えなければならない、重い課題を突きつけられた感じです。

一口に10万年と言っても、あらためて考えると本当に気の遠くなる時間です。10万年後の人類へ放射能の危険性をどうやって伝えるかがメインテーマではありますが、そもそも10万年後に果たして人類そのものが存在しているのか?そんな事まで考えさせられる作品です。

外国映画ではありますが、我が国においても青森県の六ヶ所村に、高レベル放射性廃棄物貯蔵センターがありますから、決して他所事ではありません。

今後上映館も増えてくるようですし、入場料の一部が義援金として寄付される映画館もありますので、お時間のある方は是非劇場に足を運んで、観て、考えてください。

開場を待つ人々
開場を待つ人々 posted by (C)Yongyi

映画と落語のはしご2011/03/13 21:47

映画「二十四の瞳」のポスター
映画「二十四の瞳」のポスター posted by (C)Yongyi

(5月13日UP)

7時45分に起床。今日は池袋・新文芸坐において開催の「追悼・高峰秀子特集」で2作品を観るため、慌ただしく8時過ぎに家を出ました。

まぁ大震災の翌々日に呑気に映画を観ると言うのも、被災地の人々の心情を考えると如何なものかと正直考えましたが、私としては出来るだけ普段通りに趣味を楽しみ、その上で自分が出来る範囲の事、例えば家庭における節電とか義援金、買い占めをしない、不要不急なドライブはしないなどで被災地を支援しようと考え、映画を観る事を選択しました。

さて追悼特集、今日は代表作とも言える「二十四の瞳」と、日本映画初の全編総天然色映画「カルメン故郷に帰る」の豪華二本立て。

前者は以前「日本映画専門チャンネル」で放送されていたのを録画したのですが、録画したっきりで全編通しで観たことがなく、後者は録画した記憶がなく、かつて銀座にあった「並木座」で観たような(どうもこの辺りの記憶がはっきりしない)程度なので、この機会にしっかりと観ておこうと言う次第。

駅へ向かう途中のコンビニで、昼食・夕食の食糧とお茶を購入して中央線に飛び乗り、9時少し過ぎに池袋に到着。既に開演を待つ人の行列が伸びていましたが、うまい具合に私が並び始めたとほぼ同時に開場し、列が動き出してすんなり入場することが出来ました。

上映前、館内放送では「大きな余震があった場合は上映を中断する」とか、交通事情を考慮してか、「夜の上映は無し」であることを繰り返しアナウンスしていて、否が応でも緊張感が伝わって来ます。

「二十四の瞳」は昭和29年の木下惠介監督作品。この年は他にも黒澤明監督の「七人の侍」や本多猪四郎監督の「ゴジラ」など、日本映画の黄金期を語る上で欠くことの出来ない名作が揃った年でもあります。

映画の内容については、今更私ごときがとやかく言うまでもありません。静かな小豆島に押し寄せる時代の流れを描いた反戦映画です。キネ旬1位も頷けますし、終戦後9年しか経過していないのに、このような作品を創り上げたと言うのも驚きです。

もう一つの「カルメンー」は、「二十四の瞳」と同じ木下監督のユーモアあふれる喜劇映画。浅間山麓の北軽井沢を舞台に、少し頭の弱いストリッパー「リリー・カルメン」が繰り広げる騒動を描いた作品で、難しいことを考えずひたすら楽しめる作品ですし、私のような「鉄分」が少し多い人間には、オープニングとラストに登場する「草軽電気鉄道」の貴重な映像が堪りません。

さて、池袋で2本映画を楽しんだ後は、急いで新宿駅に戻り、小走りに新宿末廣亭へ移動。

新宿末廣亭
新宿末廣亭 posted by (C)Yongyi

午前中の映画同様、時節柄落語を聴くと言うのは…と思いましたが、あまり自粛ムードが過ぎるのも精神的に疲れてしまうのと、友の会のチケットの有効期限が今月末で切れるので、お気に入りのさん喬師がトリの時に有効に使いたいと言う事情もあり、寄席に出かけた次第です。

末廣亭には仲入りの直前、小団治師が「長屋の花見」のサゲを話している時に入場しました。

新宿末廣亭 3月中席 3日目 昼の部

(途中から)
 柳家 小団治「長屋の花見」
ー仲入りー
 桂 ひな太郎「紙入れ」
 大瀬ゆめじうたじ 漫才(骨折の話)
 林家 種平「ぼやき酒屋」(桂三枝作)
 古今亭 志ん橋「無精床」
 鏡味仙三郎社中 太神楽
 桂 文楽「替り目」

入場してまず目についたのは、驚くほどお客さんの少なかったこと。

やはりいろいろな事情・心情があって、寄席に来られないお客さんが多いのだろうと思われます。

前から3列目の中央の席に余裕で座れましたし、いつもなら仲入りの時に行列ができるトイレにも、すんなりと入ることが出来るくらいのお客の入りでした。

昼の部で印象に残ったと言うか、ビックリしたのは、漫才の大瀬ゆめじ・うたじのコンビ。ゆめじさんがステッキをついて高座に上がってきたので、地震の影響かと思ったら、去年のクリスマス・イヴに渋谷で飲んでいて、何かの拍子に段差に躓いてひっくり返って骨折したとのことで、足にはチタンのボルトが入っているそうな。

で、一昨日の地震の時は、帰宅に際して三遊亭金八師のバイクで送ってもらったとのこと。金八師のTwitterにバイクで1人送ったと書いてあったのはこの事だったのかと納得。

夜の部になったら、ただでさえ少なかったお客さんが更に減って、下手側の桟敷席はとうとう空席。椅子席も各列に1人か2人と言った感じ。この際だからと最前列に移動してみたものの、最前列は私ともう1人がいるだけという状況。

新宿末廣亭 3月中席 3日目 夜の部

ー開口一番ー
 三遊亭 しあわせ「子ほめ」

 柳家 喬之進「金明竹」
 アサダ二世 奇術
 柳亭 左龍「家見舞」
 古今亭 菊春「初天神」
 ホンキートンク 漫才
 古今亭 志ん輔「強情灸」
 鈴々舎 馬櫻「ぞろぞろ」
 柳家 小菊 粋曲
 金原亭 馬生「干物箱」
 金原亭 伯楽「猫の皿」
ー仲入りー
 吉原 朝馬「蜘蛛駕籠」
 翁家 勝丸 太神楽
 柳亭 左楽「やかん泥」
 むかし家 今松「親子酒」
 林家 正楽 紙切り(相合い傘、東京スカイツリー、花嫁、武田信玄)
 柳家 さん喬「井戸の茶碗」

開口一番のしあわせさん。まだ楽屋入りして半年くらいかな?だいぶ緊張している様子で「子ほめ」の言い立て、「栴檀は双葉より芳しく、蛇は寸にしてその気を表す」でつっかえて、見ている方がハラハラしましたが、何とか収めてホッと一息。

夜の部は期せずして、先代馬生一門の噺家さんが揃いました。(ここに駒三師・雲助師がいれば完璧)

柳亭左楽師の「やかん泥」は、初めて聴く噺で他の噺家さんもあまり高座にあげていませんが、先代文楽師の口演がCDに残されている様です。

ヒザの正楽師の紙切り。相変わらず見事な芸で、特に武田信玄のリクエストには幟旗の「風林火山」の文字まで切り抜いたのには、客席からも驚嘆の声があがっていました。

東京スカイツリー(林家正楽師作)

トリはお目当てのさん喬師。前座時代に屑屋さんから300円もらってラーメンを食べたと言うマクラから、予想通り十八番の「井戸の茶碗」。

聴かせどころは、正直清兵衛さんが若侍と浪人の娘の仲を取り持ち成立して喜ぶ場面。最前列のため、さん喬師の力演ぶりがよく分かります。

9時丁度に終演。丁寧に演じれば40分くらいの噺を、約25分で演じていましたが、いつもながらどこを端折ったかも分からないくらい見事な高座でした。

帰宅後、翌日の通勤の準備をすると共に、計画停電の情報が次々と入ってくるため、懐中電灯の電池を準備したり、風呂の水を汲み置きしたりと夜遅くまでバタバタしていました。

前橋で「小三治」を観る2011/01/09 14:23

「小三治」のチラシとチケット

この3連休は、昨年末にタキザワに制作を依頼していた新しいロードバイクの納車と併せて、ちょうど連休の中日が9日で、故郷前橋では恒例の前橋初市まつりが開催されることから、27年ぶりにまつりの様子を撮ろうと帰省をしていました。

帰省中に他に何か面白いモノはないかと、ネットサーフィンで探していたら、「シネマまえばし」なる映画館でドキュメンタリー映画「小三治」を上映していることが分かり、未だに作品を観ていなかったので9日の朝映画館へ出かけてきました。前橋で映画を観るのは小学校6年生の時にたしか前橋文映で「コンボイ」を観て以来、32年ぶりではないかと思います。

「シネマまえばし」は2009年にオープンしたいわゆる「名画座」で、昨今のシネコンに対抗して、いろいろマニア好みの企画を立てて、過去の名作を上映しているようです。

過去には映画史に残る名作「戦艦ポチョムキン」やカルトな人気を誇る「幕末太陽傳」や、オペレッタ時代劇「鴛鴦歌合戦」などが上映されていたようです。今月はフェリーニ特集・ドキュメンタリー映画特集として、今回の「小三治」が掛けられていました。

シネマまえばし入り口
シネマまえばし入り口 posted by (C)Yongyi

映画館の入り口はオシャレな造りになっていて、映画関連の書籍や写真集、絵本やお菓子などが置かれていて、一瞬雑貨屋さんかと勘違いしてしまいますが、奥の入場券売場周辺には古い映画ポスターなどが架けられて、いかにも名画座と言った雰囲気に溢れていました。

料金は一般1300円と封切館に比べてお安くなっていますし、面白かったのは「たび割」と称して県外から観に来たお客は、証明となる物を提出すれば1000円で観られること。あいにく気がつくのが遅かったので、割引は適用されませんでしたが、次回利用する時は定期券なり持参して来場したいと思います。

10時半に上映開始。定員56名の場内にお客の入りは10名程度。隣の客を意識せずゆったりと大画面を見られるのは良いのですが、経営的にはどうなんでしょうね?前日のニュースでミニシアターの「シネセゾン渋谷」が閉館すると報じていただけに、チョット心配しています。

映画の内容は、かつてNHKで放送していた「プロフェッショナル」に近い物がありますが、脳科学者やアナウンサーのインタビューとのやり取りがないだけ良かったと思います。兄弟弟子の入船亭扇橋師匠とのやり取り、旅先でくつろいでいるシーンは観ていてほのぼのとし「私も年をとったら、こんな風に気のおけない友人とのんびり旅ができたら良いな」と思いました。

芸論については、前述の「プロフェッショナル」や2008年の2月に放送されたTBSラジオ「久米宏ラジオなんですけど」のゲストコーナーで語られていた以上に厳しく、映画の中ではもっと苦悩し己と戦っている様子が描かれていて観応えがあり、観終わった後にはまた師匠の高座を聴きに行きたいと思わずにはいられません。

ただ、いざ小三治師の高座を聴きに行こうとなると、現実的には気力・体力勝負のところがあって、年に2・3回聴くのがやっとなんですがね。(とにかくチケットを買うまでの行列は異常です)

終映後、街の中心部・中央通りアーケード街にある、子供の頃から気になっていたラーメン屋「新井屋」で中華そば(500円)を食べ、デジカメ一眼を取りに一旦実家に戻りました。

新井屋の中華そば
新井屋の中華そば posted by (C)Yongyi

(1月10日朝・高崎発上りの電車内で記す)

今年の物故者から2010/12/21 18:34

毎年この時期になるとマスコミ等では「今年の物故者」と言う特集が組まれて、各界の故人となられた方を偲びますが、今年私が先ず思い浮かべた方は、俳優の小林桂樹氏(享年86歳)です。

同郷の先輩と言うことで親しみがあり(もちろんお会いしたことはありませんが)、主役から脇役まで張れる、昭和30年代の日本映画全盛期には欠かせない名優です。

数多く出演された作品の中でも私が一番好きなのは、我が国の地方における最初の職業オーケストラである「群馬交響楽団(群響)」の草創期を描いた、今井正監督の「ここに泉あり」(1955年)です。

群馬県に生まれ育った人間ならば、一度は群響の移動音楽教室を体験したことがあると思いますが、この作品で小林氏は、楽団のマネージャー「亀さん」の奮闘ぶりを演じています。

以前TVで放送されたのを録画し、何度も再生して観たので、シーン・セリフのひとつひとつまで覚えてしまったほどです。11月に池袋の新文芸坐で追悼特集をやった時は、映画館へ駆けつけて観ました。(余談ですが、この日上映開始を待つ列の中に、柳家喬之助師匠を見かけて二言三言お話をさせていただいたら、この映画館に入り浸っているのだとか)

その他に好きな作品は、一般人よりも「鉄分」が若干(?)多い私には、石田勝心監督の「父ちゃんのポーが聞こえる」(1971年)が忘れられません。

不治の病に侵された娘を持つ父親を演じていて、後半は涙なくしては観られない作品です。共演の藤岡琢也氏の演技も泣かせます。

さて、落語も好きな私にとっては古今亭志ん五師匠(享年61歳)も思い浮かびます。

背が高くほっそりとした独特の風貌が、子供の頃からなんとなく記憶の片隅にあって、一度は高座で拝聴したいと思っていましたが、その望みが叶ったのは、去年10月の新宿末廣亭で、その時は「幇間腹」を演じていたのですが、結局それが最初で最後でした。

故志ん朝師匠の一番弟子として、これから更に円熟味が増した高座を聴きたかったのに、早世されて残念でなりません。

今日から(社)落語協会の「インターネット落語会」、先週・今週はフジテレビのポッドキャスト「お台場寄席」で、志ん五師匠の追悼特集として過去の映像・音源が配信されていることからも、多くの人から惜しまれつつ亡くなられた噺家さんだったことが伺えます。(いずれも期間限定です。お早めにご視聴下さい!)

この他、作詞家のH氏(私が住む市の名誉市民)を始め、様々な方がお亡くなりになりました。改めて故人のご冥福をお祈り申し上げます。

森繁作品を観る2009/11/23 19:53

そろそろ今年を振り返る時期になりましたが、今月10日の森繁久彌氏の訃報は、私にとって今年の芸能界最大のニュースでした。

物心がついた頃からテレビドラマや胃腸薬のCMなどで「モリシゲ」の名前は知っていましたが、すでに芸能界の大御所としてどっしり構えた雰囲気があり、軽妙な喜劇役者としての「森繁」は噂でしか聞いた事がありませんでした。(昔土曜日の午後に民放で放送していた「駅前シリーズ」などの映画の記憶は残念ながらほとんどありません)

そこで、ここ数日は追悼の意味を込めて、昔録画したまま放置状態にしていた比較的初期の映画3作品を観ることにしました。

今回観たのは「警察日記」(1955年・日活)、「夫婦善哉」(1955年・東宝)、「猫と正造と二人のをんな」(1956年・東宝)。

3作品の中で一番印象に残った作品は「夫婦善哉」。なんでこんな男に女が惚れるのか不思議に思うような甲斐性なしの主人公を演じていますが、いよいよ帰るところのなくなった主人公と芸者あがりの女房が法善寺でしみじみと善哉を食べるラストシーンや、流れるように美しい上方訛りが印象的です。

「猫と正造と─」では、飼い猫を溺愛する主人公もさることながら、先妻(山田五十鈴)と後妻(香川京子)に加え、母親(浪花千栄子)の三つ巴のやり取りが生々しい作品です。

主人公のだらしなさは「夫婦善哉」よりも更に漫画チックにパワーアップされています。

「警察日記」は、「森繁」演じる巡査の勤務する会津地方の警察署で繰り広げられる、さまざまな日常の様子を描いた人情喜劇。

残念ながらエピソードが多すぎるのと、子役の名演技に気を取られて「森繁」の印象がやや薄くなっています。

その代わり出演者が豪華で、若き日の三国連太郎や杉村春子・沢村貞子などのベテラン俳優の他に、新人の宍戸錠(息子にソックリ)が出演しています。

人身売買や万引き・無銭飲食など、戦後10年経ってもまだまだ貧しかった頃の日本の様子が描かれていて、これはこれで貴重な記録と言えます。

後年の作品になりますが、「恍惚の人」(1973年・東宝)を数年前にたまたま観ましたが、40年近く前に、すでに現代にも通じる老人介護の問題を取り上げており、「森繁」氏は痴呆老人の役を演じていて、熱演のあまり観るのが辛くなったりもしますが、機会があればぜひ一度ご覧ください。

96歳であの世へ召されて、今頃は盟友の三木のり平氏や山茶花究氏らと楽しくやっているのでは?と思います。今更ながらですが、故人のご冥福をお祈りいたします。

多摩川サイクリング2008/05/18 20:45

京王線・布田駅にて

GW明けからしばらく慌ただしい日々が続いていましたが、ようやく一息つけるようになり、久しぶりにBlogの更新です。

年に一度程度、戦時中の大型不発弾処理のニュースが報じられています。これまでは比較的遠いところのニュースと思っていましたが、今日は比較的近い調布市内で、住民16000人を避難させて行うことを昨日知ったので、野次馬根性旺盛ですからまずは現場の様子を見に行ってみることにし、ついでに久しぶりに多摩川サイクリングロードを走って、八王子まで出かけてみることにしました。

東京オリンピックのマラソン折り返し地点 朝8時半過ぎに家を出発し、途中「味の素スタジアム」の前の甲州街道にある東京オリンピックのマラソン折り返し地点を撮影しました。

先日亡くなられた市川崑監督の代表作の一つ「東京オリンピック(1965)」では、折り返し地点の沿道観客や係員の後方には、何もない荒涼とした風景が広がる中の一本道の様に見えましたが、40数年後の現在、甲州街道の両側には建物がびっしりで、まったく視界が広がりません。

下布田交差点にて 9時過ぎに甲州街道と三鷹通りが交わる下布田の交差点に到着。すでに上空には何機かのヘリコプターが飛び交い、警察や報道関係者、市区の役員さんでしょうか大勢の人が交差点に集まって、交通規制の準備をしていました。

その後警戒区域の縁を通る形で多摩川方面へ南下。途中で「北京的家庭料理店・金龍門」なる看板を掲げる中華屋さんを発見。結構気になるお店で帰宅後ネットで調べてはみたのですが、情報が少なくて残念。ここまで足を運ぶ事が果たしてこの先あるかどうか疑問ですが、機会があれば出かけてみたいお店です。

京王線・布田駅横の踏切でちょうど遮断機が下り、ふと駅の方を見ると、客扱いを一時中止するために駅員さんが入り口のシャッターを下ろそうとしていていました。また避難途中なのか単に犬の散歩なのかは不明ですが、一組の親子が「こんな事滅多にないから、記念だから(←何の記念なんだよ!)」と言いながら携帯電話で写真を撮っていました。(トップの写真)

多摩川住宅を通り多摩川サイクリングロードに出て川を遡上し、久しぶりに国立から先へ足を伸ばしてみました。

三市二署合同水防演習 途中の立日橋下の河川敷では、「三市二署合同水防演習」と題した多摩川の水害を想定した演習の真っ最中。世界中で自然災害が多発している今日この頃で、関心が高まっているのでしょうか、堤防には大勢のギャラリーが詰めかけていました。

久しぶりに多摩川サイクリングロードを走ってみましたが、立川から先は通称「たいやき公園」下の路面が悪くてぬかるんでいたり、くじら公園の駐車場では駐車する車の渋滞に引っ掛かるなどして、軽快にサイクリングロードを走る事が出来なくなってしまいちょっと残念。心無しかすれ違う自転車(特にスポーツ車)の数も少ないようでした。

今回八王子まで足を伸ばしたのは、上にも書きました市川崑監督の映画「東京オリンピック」の中に、八王子を舞台として開催された自転車競技のシーンがあることをふと思い出して、実際にどんなコースだったのだろうか一部分だけでも走ってみたいと思ったからです。

加住町のピークありがたい事に、今の世はインターネットでちょっと検索ワードを入力すると、とたんに当時のコース(Ken's Page 東京オリンピック)が分かりましたので、今回は「高月町登坂区間」を訪ねてみましたが、想像していた以上に狭い山道で、こんなところをオリンピックで使ったのかと驚いてしまいました。(帰宅後映画のシーン(たぶん加住町のピーク手前のS字カーブあたり)を確認したら、大勢の選手が道幅いっぱいになって坂道を登っていました)

坂の感じとしては、ここまで来るのに結構体力を消耗してしまったので、やっとこ登る様な感じ。もうちょっと体調の良い時にとも思ったのですが、距離が短く周りの風景は残土置き場か何かで、どうにも走って楽しいコースではなかったです。

一度坂道を上り下りして満足したので、帰りは日野から甲州街道に出て、立日橋から多摩川サイクリングロードを使って帰宅しました。(本日の走行距離:約65km)

湘南ポタリング(その2)2007/09/02 21:10

酒匂川にかかる鉄橋

小田原の商店街を抜けしばらく走ると、あっけなく酒匂川の河川敷に出ました。

写真の鉄橋は映画「天国と地獄」のハイライトとも言える重要な舞台になった場所で、上映から45年近く経ち当然ながら当時とは周りの様子は大きく変わっていて、撮影のために2階を取り壊されたという家は既になく、牛を連れたお百姓さんがいた草っぱらも、大手化粧品メーカーの工場になっていました。

この後国道1号線から国道134号線を、江ノ島へ向けて走りました。

2007/07/25 21:19

「生きる」(中国語字幕DVD)

5月に実施した定期健康診断の結果を見たら、胃に何やらあるらしいとのことで、産業医から精密検査を薦められ、3年振りに胃カメラを飲むための予約で、近所で比較的評判の良い病院へ。

やはり「不惑の歳」を過ぎると、身体のあちこちいろいろとガタが来るんでしょうかね?(あまり認めたくはないですが)

確かにかなり前から胃がムカムカするような感覚を持ち続けていますが、前回「十二指腸球部変形」とやらで初めて胃カメラを飲んだ時は結局何も見つからず、たぶんバリウムが奥まできちんと流れ込まなかったため、正しい形で撮影出来なかったのでしょう、と言う説明でなんとなく収まったのですが、その時先生が映像を見ながら「ちょっと潰瘍が治りかけたような跡がありますね」と話していたのは気にはなっています。さてさて今回はどうなります事やら…

さて胃と言えば連想するのが、「これはこの物語の主人公の胃袋である。噴門部に胃癌の兆候が見えるが、本人は未だそれを知らない」のナレーションで始まる黒澤明監督の「生きる(1952年)」です。

今から四半世紀以上前、中学生の時に初めてこの映画を観て、生と死と言う地味で重いテーマの中で、主人公が生きる目的に気が付く場面の表現に感動し、以来私の最も好きな映画作品のトップに常に君臨し続けている作品です。

この他現代にも通じる痛烈な役所批判、ラストでヒラの職員が見せるどうにもならない無力感など、どのシーンも印象深く、逆にあまりにも有名な夜の公園でブランコを漕ぐシーンが霞んでしまうほどです。

社会人になって間もない頃は、この映画の主人公のように生きる事が出来たら理想的だと思っていたものですが、次第に映画の中で職員達が語る愚痴と同じになってきたのは悲しい事です。まぁこれが現実なんですかね。

写真は中国で購入したDVD。音声は日本語ですが、字幕が中国語です。

上海旅行(その2)2007/02/26 22:13

銀波大酒店から苏州河を見る

今回宿泊したホテルは、観光名所・外灘(Waitan)から歩いて5分程度の「銀波大酒店」でした。

グレードは2つ星。まぁ日本のビジネスホテルをちょっと大きくした程度で、安いだけで特にこれと言った特徴もないホテルですが、宿泊費の浮いた分を飲食・遊興費に回したい人に適しているのではないでしょうか?外灘が見える部屋に泊まれたら本当にラッキーだったのですが、あいにく外灘とは反対側の部屋に泊まることになってしまいました。

その代わり窓からは、2002年の中国映画「假装没感觉(邦題:上海家族)」の風景が広がっていました。

写真の左端に、映画のラストシーンで母娘が暮らす家のベランダから見える建物があります。一方母娘の家は撮影用のセットだったのか解体されたのか、それらしい建物は見当たりませんでした。

「胡同のひまわり」2006/09/01 23:38

「鼓楼」から東側を望む(広い道路は鼓楼東大街)

午前中情報収集のため渋谷へ出かけたところ、渋谷Bunkamuraル・シネマで上映中の「胡同のひまわり」の映画ポスターが目に入り、観よう観ようと思いつつ今日が東京での上映最終日になってしまった焦りと、たまたま今日は「ファン感謝デー」で割引きと言う事が重なって、会社が終わってから久しぶりに映画館へ行く事に。

最近は映画館へ出かける機会がほとんどなく(前回は2年前の「華氏911」)、家でDVDを観るにしても、一つの作品を最初から最後まで通しで観ることは少なく、何回かに分けて観てしまいがちです。たまには映画館特有の大画面で一つの作品をじっくり観てみたいと思っていたので、ちょうど良い機会でした。

さて、映画の中身については、前半の子役の演技と青年期の主人公と女の子が氷の張った后海でスケートを楽しむ場面が印象的だったまでは良かったのですが、後半主人公とその父親のわだかまりが解けるシーンがどうも今ひとつ唐突な感じがした上に、頑固でわがままな父親は最後に失踪してそれで終わりかよと言った感想しかなかったのですが、まだまだ読みが足りないのか、私が人の親になっていないからなのでしょうか?感動したかと言われると今ひとつかなぁと言った感じでした。

その代わりと言っては何ですが、昨年秋に実際の胡同をブラついて来た事もあり、見覚えのある風景がそこかしこに登場することもあってか、そちらの方で十分楽しめた作品でした。

写真は北京のほぼ中心部にある「鼓楼」から見下ろした胡同の様子。映画のパンフレットによると映画の舞台は「鼓楼」の東側を想定したものだそう、まさにこの写真に写っている辺りでしょう。(映画に登場する伝統的な建物「四合院」はセットだそうです)